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231号 ペットに想う~わが家族~

-2006/10/01-

私は大のペット好きである・・・が、手を焼くようなことや面倒なことは家内などに押しつけ、まことに勝手なのだが"可愛がることだけの専門家"である。気が向けば散歩に連れて行くが、毎日となると気が進まない・・・でも大好きなのである。


新潟での新婚生活ではシェパードと猫を飼っていた。岡山に帰ってからも、秋田犬、シェパード(子供まで含めると13匹)、スピッツ、マルチーズ、イ ンコ、拾ってきた黒猫・・・と、今思い出せる限りでもこれだけの可愛い子供たちと生活をしてきた。その中でも特に思い出に残っている、2匹目のシェパード の"アスター(貴婦人)"と12匹の子犬たちの話をしたい。


昭和34年、ちょうど工場にドロボーが入り、 ニッケル金属などをごっそり盗まれたことがあった。犯人も見つからなかったことから「番犬がほしい」と思っていた矢先、知人から血統書付の良犬を紹介され る。それがアスターだった。この娘(メス)は、警察犬としての訓練まで受けたお嬢様で、そこらの犬とは全くスジが違う"たしなみ"を身につけていた貴婦人 だった。ある日、わが家に野菜を配達に来た八百屋さんめがけて、たまたま放されていたアスターが飛び掛ってしまった。慌てた家内が「止め」と叫ぶと、八百 屋さんの背後から首に噛み付く寸前のところでピタリと動かない。まるで静止画像を見たようだったという。この話を聞き、私は"飼い犬の鑑"とばかりにいた く惚れ込んでいくのである。


アスターの血を多く残してやりたい・・・と種付けをし、お産を待った。最初の うちは"アスターがんばれ"と応援していた私であるが、12匹も産まれるとは思っておらず、生命力のたくましさに感動するも、少々驚かされた。産まれてか ら2日後、私は友人に誘われるまま北海道旅行へ出かけた。別段何も考えていなかったのだが、この先の話は本当に家内に申し訳なく思う。アスターには乳房が 8つしか付いていないのに子犬は12匹。当然競争が起こり、乳を飲めるもの、たくさん飲めるもの、全く飲めないものなどが出る。生まれたての子犬は胃が小 さく、授乳から1時間も経つと空腹を訴えはいずり回る。家内も私に負けずペット好きである(はず)。ここから家内の自分の身を犠牲にした子育てが始まる。 12匹に均等に乳が与えられるように、母乳にありつけなかった子犬には牛乳などを哺乳瓶で与え、飲み終われば印をつけ藁を敷いた寝床に返してやる。これが 1時間ごとに繰り返されるのだ。私はのほほんと北海道を楽しんでおり、どれだけたいへんなことになっているか知るよしもなかったが、家内も心底疲れて"も う限界"というときに、姪の若槻英子が新潟から偶然遊びに来た。彼女の助けでなんとか急場をしのぐことができた。私はつくづく「ウン」が付いていると思っ たが、こんな軽口を言ってしまうと、家内にどやしつけられること間違いないので黙っておいた。


子犬の時代 が過ぎたら過ぎたで、今度は "犬"が13匹+α(スピッツなど)と生活することになった。ドッグフードなどない時代、人間と同じもの、もしくはそれ以上のものを食べさせないといけな い。今度は家内にとって台所から離れられない毎日になった。なんせ3家族が同居しているようなものだから。


また、毎日の散歩もたいへんだった。1組4匹で3組に分けて散歩をおこなうのだが、例によって私は世話の焼けることはやらずに見守り役だ。知人の犬の訓練士や会社に寝泊りしていた社員に散歩をやってもらっていた。


次 第に景気が悪くなってきた昭和40年代、どうにも全ての犬の面倒を見ることができなくなり、アスターと子ども2匹を残して、残りは知り合いにもらい受けて もらった。どうにも心配で、もらい受けていただいた各お宅を訪問して元気にしているかを確認することもしばしばだった。今も住んでいる津島に引越し、「二 度と動物は飼うまい」と思ったが、3年もすると、いてもたってもいられなくなり、息子正義も賛成してくれたのでマルチーズの"ポ"を飼ってしまう私であっ た。


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