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232号 経営危機に想う~あらためてありがとう~

-2007/01/01-

昭和40年から5年間続いた「いざなぎ景気」が終わりかかっていた昭和44年(1969年)、岡山メッキ工業㈱は存亡の危機に直面していた。「こんなに景 気が上向いている時に、土地を買い、人を増やして成長させようとしない経営者は無能」と言われていた時代、私は盲目的に自動車産業の成長を信じていた。


月に突如実施された日銀の金融引き締めによって、会社の経営状況は一変する。総社市の水島機械金属工業団地に進出するまでは、場当たり的な資金調達 でどうにか乗り切っていたのだが、会社の規模は短期間に数倍にも拡大し、借入金が億単位ともなると、利息を払うだけでもたいへんで、親しい友人からのチョ イ借りでは間に合わなくなる。資金調達以外にも、お客さまの生産予測数を基に生産計画を立てていたのだが、この数字が実際のオーダーよりもかなり多めの情 報だった。つまり、材料も完成品も在庫の山だった。この異常な在庫のために、ますますお金が必要になった。当時、年間13億円の売上高に対し、借入金は 10億円前後。工場建設費と過剰な設備投資によるもので、もちろん経常利益もいっこうにプラスに転じない・・・。さらにコスト競争に巻き込まれ、操業度を 確保しようと受注すれば、気づくと赤字商品ばかりということになっていた。


私は、この惨状を素直に主要顧 客である三菱自動車工業㈱水島自動車製作所外注課殿に訴えた。なんとかしてくれると考えていたからである。そこで言われたのは「難波さんひとつここは、一 切ご破算にして出直すしか方法はないでしょうネ」である。倒産させよと言うのである。なんとかして生きねばならぬ、オーエム工業㈱の生死を賭けたサバイバ ル作戦が展開された。しかしながら、ご存知のとおり私は技術バカである。経理、財務、資金の再建は、藤原和教経理課長(後に常務、最高顧問)の手に委ね た。彼がみんなと知恵を絞ってつくりあげた自主独立再建計画(5ヵ年)を水島自動車製作所に持ち込んだ。外注課のみでなく、経理部門までも巻き込み、指導 を受けて計画をさらに練り上げていく。まるで自らのことのように、私たちといっしょになってやっていただくお客さまの姿に、私は"三菱"という会社の偉大 さを痛感させられた。計画は過去の経営を根本から見直し、再構築するたいへん厳しいものであり、私はもちろんであるが社員にとっても屈辱的な内容も多く含 まれていた。ついに水島自動車製作所のトップ数名による4時間のヒアリングを経て、この自主独立再建案を即実行することを条件に、承認いただいた。最後の 瞬間、経理課長が一言「ヨシ、わかった」と大きくうなずかれたことが今も記憶に生々しく残っている。


会社 を経営危機に陥れたことについては、三菱自動車工業㈱本社からもキツイおとがめがあった。本当に崖っぷちまで追い込まれていたのである。この時に自覚した のは、会社にはきちんとした経営計画やしっかりした企業理念が必要であるということである。そして、自主独立の大切さも学んだ。お客さまについていけば、 提示されるコストや品質の条件をクリアしていけば成長するんだという「オンブにダッコ」では環境の変化についていけない。経営リスクをきちんと考え、自分 で責任が取れる独立経営をしないといけない、そして自主独立で魅力ある企業に成らねばならぬと、この体験を通して強く思ったのである。この時に、本気に なって私を指導していただいたお客さま、この危機を乗り越えようと真剣に仕事に取り組んだ社員諸君に、改めて感謝申し上げる。


本当にありがとう。


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