2009.08.03

社長ブログ

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ドラゴンズ 落合監督(著書:コーチング 言葉と信念の魔術)

ドラゴンズ 落合監督(著書:コーチング 言葉と信念の魔術)

書き出したら、あれもこれもと長くなってしまった。この長さ、ブログらしくないかも・・・。時間がある時にお付き合いいただければと思います。

プ ロ野球中日ドラゴンズの落合監督は、好き嫌いが分かれる監督(人物)だと思う。いや、おそらくプロ野球好きには嫌いな人の方が多いのではないかと思う。そ れは、あまりコメントをしない落合監督のマスコミ受けが悪いことや、チームプレーが美徳とされる日本野球で「オレ流」「個人主義」と表現される唯我独尊的 な印象が強いこと、プロ野球選手なら誰もがあこがれる名球会入りの資格を持ちながらただ一人入会していないこと、日本シリーズで完全試合を目前にしても投 手交代するような勝利至上主義的に映る采配などによるのではないかと思う。一時期のイチロー選手も、松井選手と比較されてチームプレーより個人成績優先な どと報道されるなど、似たような傾向があったが、彼の場合はWBCですっかり好印象に変わってしまった。もっとも、イチロー選手の場合、表現はそのように 受け取られても、ブルーウェーブ時代から誰よりも優勝を切望し目指している選手だったと思う。話を元に戻して、落合監督って本当にそんな人なのか? やっ てることってすごくない?


2009年シーズン、若干出遅れた感じで首位を独走するジャイアンツと最大9ゲーム差もつけられたドラゴンズだが、 連勝を重ねて球宴前になんと2.5ゲーム差まで詰め寄り、8月2日現在1.5ゲーム差となっている。こんなこと、毎シーズン優勝争いをしているから不思議 ではないかもしれないが、ではどうしてドラゴンズは毎シーズン優勝争いをしているのでしょう?不思議じゃない?

2004 年シーズンからドラゴンズの監督をされているが、この就任時の一連のコメントはすごかった。「山田久志前監督時代(前年は優勝したタイガースと14.5 ゲーム差の2位)から戦力の補強は特におこなわない、このメンバーで優勝できる。」そう言い切った。そして実際に優勝してしまった。また、福留選手、ウッ ズ選手、川上選手、中村選手など主力選手の移籍や契約更改なども本人や球団の意向を優先し、その結果について一切の不満も言っていないようだ。むしろ、よ り自分を評価してくれるチームや自分が挑戦したいフィールド(大リーグなど)でプレーすることを奨励している節もある。この選手たちに代わる選手の補強 も、その結果についてフロントに文句は言わないようだ。与えられた人・物・金の中で結果を出すこと、つまり優勝すべく努力することに徹しているのだろう。 そして、大黒柱だった主力選手が抜けようと、優勝(2004年シーズン)、2位、優勝、2位(クライマックスシリーズ優勝、日本一)、3位と毎年好成績を 残している。

現有戦力の能力を最大限に発揮する環境づくり、選手の長所を見 極める眼、放任とは違う"ただ見ているだけ"のコーチング、組織の中で個人を活かす、"自分で考える"大人な選手の育成・・・、キーワードはたくさんある が、要するに、選手はもちろん、監督やコーチ、フロントも含めて各人がそれぞれの役割をきちんと遂行しているということだと思う。諸説あるが、日本シリー ズで8回まで完全試合をしていた山井投手が自分から交代を申し出たというのも、あながち作り話ではないような気がする。そしてその後を3人でピシャリと抑 えた岩瀬投手も自分の役割をきっちり果たした。日本一という最大最高の結果を目指しておこったこの采配、「投げさせてやりたかった」「かわいそう」などの 心情面は別として、現時点ではおそらく落合監督にしかできなかったものだと思う。WBCで不振にあえいだイチロー選手が原監督に「勝つためにプレーしてい るのだから試合に出ても打てない選手(自分)は使うな」と進言しようとしていたことも似ている。

このあたりのことについて、著書「コーチング 言葉と信念の魔術(2001年ダイヤモンド社)」の中で、落合監督は以下のように述べている。まだドラゴンズの監督を引き受ける前の、浪人時代?に書かれたものだ

監督と選手の役割について  「選手は、ゲームの中で自分をどれだけ生かしていくか、一方の監督は、選手が生かしてくれた力を、どうやって束ねていって勝ちに結びつけるかということ だ。(中略)監督の作戦を聞かされた選手が、なぜその作戦が必要なのかを考えられて、自分の頭の中で整理した上で実行するから、初めて良い仕事ができる。 監督は、常にチームが勝つために采配を振るっている。選手は、その采配に忠実に従った上で、自分のベストパフォーマンスを発揮する。これが、"自分の役 割"に徹することであり、組織が目標を達成するための近道なのだ。」

この他にもいくつか紹介したい。

良い指導者とは  「良い指導者になるためには、ひとつの条件がある。意外に思えるかもしれないが、最初からプラス思考の人間は、決して良い指導者にはなれない。良い指導者 と呼ばれる人たちは、はじめはマイナス思考で最悪の結果を想定し、そうならないような計画を立ててから組織や集団を動かす。そして、全体の流れが軌道に 乗ってきたと見るや、プラス思考に転じて攻めていく。(中略)(プラス思考とマイナス思考の)二つをともに考えられて初めて、良い指導者になれるのだと思 う。(中略)采配やテレビ中継に映った時の表情などを見れば、森さんや野村さんがマイナス思考の強い人だということは、納得していただけると思う。では、 長嶋さんはどうか。ファンの笑顔を喜びにし、自らも明るくチームを率いている人のどこがマイナス思考なのか、と思われる方も多いだろう。たが、長嶋さんは マイナス思考の強い部類に入る。森さんや野村さんに負けないくらいのマイナス思考だ。そんな長嶋さんの考え方を顕著に示しているのが、(2001年前後) 現在の巨人のメンバー構成である。ドラフト、フリー・エージェントと、選手を獲得できるあらゆる場面に全力投球し、能力の高い選手を集めまくる。そんな方 針はプロ野球をダメにするとか、夢がないなどと批判もされているが、次から次へと選手を補強しても心配でしょうがないのだ。しかし、これが組織の長たる者 の本音の部分なのではないか。(中略)ただ、組織の上に立つ者は、そうしたマイナスの部分を他人に打ち明けたり、感じさせたりすることは絶対に許されな い。自らはマイナス思考の塊となりながら、組織の前面にはプラス思考だけを出していく。(中略)一番悪いのは、プロ野球に例えれば「この戦力なのだから、 うちはAクラス(3位以内)を狙う」などと言う指導者だ。そんな指導者は、ユニフォームを着る資格などない。ファンやメディアからどんなにバカにされよう が、現実的には無理だとわかっていようが、「うちは優勝を狙います。それだけの戦力はある」と外に対して言えるのが、真の指導者なのだ。監督がAクラスに 入ればいいと考えているようなチームは、間違っても優勝などできるわけがない。自分の腹の中は「優勝できるかも」と思っているのに、謙遜して「Aクラスで いい」などと言うのは、組織全体の雰囲気を停滞させることはあっても、活性化させることはない。監督が予防線を張り、謙虚にふるまっていては選手も動かな い。虚勢を張らなければならない場面では張り、部下の尻を叩くところは叩く。そんな指導者のいる組織には、活気がみなぎるはずだ。(中略)もちろん、虚勢 を張るか謙虚にいくかは、立場によって違ってくる。監督は虚勢を張ってもいいが、選手や現場の人間は謙虚さが必要だろう。」 注)落合監督は、長嶋さんを 胴上げしたくて巨人にフリー・エージェントで入団するほどの大の長嶋ファンです。

組織と責任  「現場の最高決定権は指揮官にある。ゆえに、組織の中での勝手な振る舞いを平気で黙認したり、そうした問題を曖昧にする指導者は決して優秀ではないし、情 があるとも言えない。最高の決定権を持つ人間が決めたことに従わないという行為は、組織の中では絶対にしてはいけないし、そうした振る舞いを許してはいけ ない。何でも自分の思い通りにやりたい人間は、組織からは外れなければいけない。(中略)部下に信頼される上司であるためには、部下の話に聞く耳を持つこ と。そして、進めた仕事に関する最終責任は自分が取ることだ。部下の話もろくに聞かずに、「君がやった仕事だから、君が責任を取ればいい」などと言う上司 はいないだろうし、最終的には何らかの責任がその上司にもいくだろう。そうしたことから逃げてはいけない。それが組織というものだ。組織の長が責任を取ら なければ、誰が取るというのか。(中略)人間にはミスがつきものである。(中略)とにかくミスが起きた場合は、しかるべき人間、すなわち組織の長がきちん と責任を取らなければならない。そして、そのミスの程度に応じて、当事者にも責任を取らせることが必要だろう。こうしたことを曖昧にしている組織には、発 展も成長もないと感じている。」

組織の中で自分を生かす  「私の自由になる時間をいかに有効に使うかということに重きは置いたが、ユニフォームを着ている時は、チームの一員であるのを忘れたことはない。(中略) ペナントレースに臨むにあたっては、「自分を生かしてチームに貢献しよう」と考えていた。「自分が犠牲になっても、チームの勝利に貢献したい」とか「タイ トルはいらないから、優勝を経験したい」という選手もいるようだが、私はそんな気持ちが理解できない。どうして自分を生かし、その上でチームにも貢献しよ うと、一石二鳥に考えないのか。私のように考えれば、自分の野球に責任を持たなければならない。練習では何と言われようと自分に必要なものを追求し、試合 でいい数字が残せる状態をつくり上げる。そして試合では、監督の采配に沿ってチームを勝利に導く努力をする。これが私のスタイルだった。(中略)最近の主 力選手の中にも、練習や調整に関して自己流で行う者が増えてきた。(中略)ところが、監督の起用法に関してまで自己主張しているのは信じられない。(中 略)自分の希望はあくまで希望であり、監督が「中継ぎをやれ」、あるいは「抑えをやれ」と言えば、その命令に従わなければならない。話し合いをして決める のは良いと思うが、一方的に「僕は先発しかやりません」と言ってしまっては組織というものは成り立たない。選手一人ひとりが「監督、僕はこういう考え方で やりますから」と言って自分たちの向きたい方向を向いていたら、組織は一つの方向を目指して進んでいくことはできない。"自分を生かすこと"と"自分のや りたいようにやること"は、まったく意味が違うのだ。組織のルールを守り、指揮官が目指す方向に進みながら自分の力を惜しみなく発揮する――これが、組織 の中で自分を生かす最良の術である。」

食事と睡眠  「私が「伸びる子の共通点は?」と問われれば、「よく食べて体が丈夫なこと」と答える。これは、近年最も軽視されている部分だろう。とにかく食生活が悪す ぎる。高いもの、うまいものを食べていれば、必ずしも食生活がいいということではない。(中略)これは家庭教育の一部だと思うが、子どもを伸ばすには、や はり食べ物や生活環境を正すことから始めなければいけない。これは、社会人にとっても同じことだ。酒を飲むのは構わないが、主たる食事をきちんと摂ること を忘れてはならない。(中略)サラリーマンでも、仕事が思い通りに進まない時などに「スランプ」を感じるだろう。本来、スランプとは一流の人間にしか経験 できないものだが・・・(中略)とにかく状態の悪さを実感したら、食事や睡眠を基本に考えてほしい。いかに丈夫で強い体をつくるか。食べることと寝ること がしっかりできなければ、いい仕事などできるわけがない。これらを基本に考えていれば、イライラすることも少なくなるはずだし、ストレスも軽減できるだろ う。ゆえに、特に若い部下と預かる上司は、「食べること」と「寝ること」がいかに重要なことなのかを理解させなければならない。そして、自分自身にとって も、これがすべての基本であることを忘れないでほしい。

経験に裏づけされた「感性」を研ぎ澄まし、自分自身を洗脳せよ  「85年の春季キャンプに臨む私は、どうすれば本塁打を量産できるかを考えた。そこで誰でも思いつくことは「飛距離を伸ばすにはどうするか」ということで はないか。そして打ち方を変えたり、ウェイト・トレーニングに精を出したりする。しかし、私はこう考えた。「ファウルになる打球をスタンドに入れられない か」これが私の感性から捻り出された目標である。外野のポールをかすめてファウルになる打球を、スタンドに運ぶ方法を模索したのだ。まずイメージしたの は、私は右打者だから、レフトにはスライスボールを、反対にライトにはフックボールを打てればいいということ。そういう打球を弾き出すためにバットの出す 角度をあれこれ試していたら、実際にできるようになった。その結果、この年の私は40本どころか、一気に52本塁打を放ち、3割6分7厘の打率と146の 打点とともに、文句なしの三冠王を手にすることができた。しかし、この話にはオチがつく。(中略)今だから言えるが、ファウルをホームランにする打ち方を 身につけたものの、そんな打球が実際に打てたのは1本か2本だったと思う。では、本塁打を量産した本当の理由は何か。それは妻の突拍子もないひと言だっ た。前年のシーズン・オフに突然、妻は私にこう言った。「あなたがホームランを打てないのは、体が細いからじゃないの? だって、門田さんとか外国人選手 とか、ホームランをたくさん打つ人は、みんなポッチャリした体型よ」翌日から、我が家の食卓には、関取がいるのかというほどの量の食事が並んだ。そして、 それを食べ続けた私は、現在のようなアンコ型の体型になっていったのである。結果的には、これが私の打球の飛距離を飛躍的に伸ばした。私の打撃フォーム が、体重を十分に乗せて打つものだということも関係しているだろう。ファウルがホームランにならないか、ということまでは、私の感性から出てきた。だが、 太れば打球が飛ぶという発想は、私の感性からは生まれなかった。この時の私は、野球の素人の感性もバカにはできないと痛感した。さて、本塁打を量産するこ とに関しては、私の感性は結果に結びつかなかった。だが、大切なのは、私の中では「ファウルをホームランにする打ち方でいける」という手応えがあり、結果 が出ているということで自分を洗脳している状態を保てたことだ。だから、ライバルの打者が迫ってきても、何試合か本塁打が出なくても、「絶対に大丈夫。最 終的にタイトルを獲るのは自分なのだから」と思えた。自分に自信を持つというのは、どんなことに取り組む場合も必要だ。だが、その自信が裏づけのないもの だと、壁にぶつかった時には消えてしまう。本当の自信とは、感性を研ぎ澄まし、自分で自分を洗脳することから生まれる――現役を終えた今でも、私はそう考 えている。」

異なったカルチャーを持つ人間と話をしよう  「プロ野球界には、"投手人間"と"野手人間"という見方がある。(中略)稲尾さんがロッテの監督をしていた時、試合が終わると、必ずと言っていいほど私 は飲みに誘われた。そこには、投手コーチの佐藤さんも加わって、三人でグラスを傾けることが多かった。酒場での話題は、決まってその日の試合のこと。つま り、反省会なのである。監督とコーチと四番打者の反省会など、この時以外に経験したこともなければ、ほかに聞いたこともない。稲尾さんは、投手交代のタイ ミングなどについて、私に意見を求めてきた。野球の話題に関しては、遠慮してものを言うことを知らない私は、きっぱりと自分の考えを話した。(中略)あま りにはっきり言い過ぎて、稲尾さんに「おいおい、監督は俺なんだぞ」と言われたこともあった。だが、この反省会を繰り返すうちに、稲尾さんがなぜ佐藤さん と私を呼ぶのかが理解できた。稲尾さんは投手出身である。(中略)そこでそうした考え方を野手の私に話し、野手側の考え方を知ろうとしていたのだ。いつし か私も、"投手人間"の考えていることがすこしずつわかるようになってきた。そして、これは打席に入って投手と勝負する際に、大きなアドバンテージとなっ た。私が85、86年と続けて三冠王を手にできたのも、この反省会が生きた部分があると思う。また、佐藤さんという人も打者心理についてよく私に聞いてき た。若い投手を指導する際の参考にしたいと言われたこともある。この時、私は佐藤さんが勇気のあるコーチだと感じた。自分が預かった投手陣をレベルアップ させるためなら、一選手である私の知識も吸収し、活用しようと努めるからだ。もちろん、稲尾さんも同じである。私は、この二人の指導者と出会えたことを幸 運に思いながら、投手心理について徹底的に勉強させてもらった。こうした経験から、私は考え方やカルチャーの違う人間の話を聞くことの大切さを知った。プ ロ野球界でも、ミーティングは投手と野手に分かれて行うことが多い。投手コーチが投手陣を集め、打撃コーチが野手を集めて別々に行う。いわゆる部署ごとの 会議のようなものだ。この時、投手ミーティングでは四番打者、野手ミーティングではエースに話をさせることを提案したことがある。現在ではこうした機会を 設ける球団もあるようだが、これは選手にとっても、指導者にとっても大きな財産となる。同じ考え方の人間が集まると、当たり前のこととして通り過ぎてしま う話題も、個となった考え方の人間が入ると質問が出たりする。そこで見落としがちな問題に気づいたり、新しいアプローチの方法がひらめいたりするから だ。」

避けられるリスクを負うな 「避けられるリスクを負うな。それが勝負の鉄則だ。気持ちのどこかにある冒険心は、ホームランを打たれても勝敗には影響しない場面で満たしてやればいい。大切なのは、常に自分の置かれた状況を的確に分析し、避けられるリスクを負わないことである。」


気 になっていることがある。落合監督は、投手交代の時に必ず自分がマウンドに行く。一番つらい仕事は責任者である自分の仕事だといつかコメントされていた。 この時に何の話をしているのか、それは私が知る限り、一度も内容が明らかになったことはない。ただ一つわかっていることは、交代を告げられる際にボソボソ ボソボソと何かを言われた投手が、みんなその話に納得しているということだ。いったいどんな話をしているのだろう???

最 後に、私の手元には、たまたま出張先で買った2007年シーズンにドラゴンズが日本一になった翌朝のスポーツ新聞がある。そこには、落合監督になったシー ズンからドラゴンズの番記者になり、このシーズンでドラ番をやめることになった記者の記事が載っている。この記事を読んだ時、なぜか胸にグッときたので、 手元にとってある。そこにはこう書かれている。「見た目は20人いたら19人が「取っつきにくい人」と思うだろう。言葉数が少なく、感情を表に出すことは 多くはない。だから世間での評判は「暗い」になってしまう。本当に見た目で損をしている人だと思う。(中略)東京都内の監督の自宅に泊めてもらった時だっ た。福嗣さんの部屋でいっしょに寝ることになると、監督自らわざわざ布団を敷いてくれたこともあった。「おい、ここでいいのか? 布団一枚で寒くない か?」どこにでもいる1人の優しいお父さんがいた。福嗣さんと布団でじゃれ合う姿には、こちらが照れくさくなってしまうほどだった。だからといってプライ ベートで冗舌かというと、そうではない。信子夫人をして「本当に監督は家でも、どこにいるか分からないくらい静かなの。こっちが必死で話しても、『あっそ う』とか『ふーん』とか話していても張り合いがないのよ」と言うほどに。とにかく口数は少ない。でも、そんな監督の言葉数が増える時がある。それは、鍋を 囲んだ時だ。"鍋奉行"として、「まだだ」「はい、いいぞ」と仕切る姿は、まさに驚きだった。(中略)日本一となった取材を最後に中日の取材から離れる。 本当にお世話になりっぱなしだった。ただ、この言葉だけは忘れてはいない。「ちゃんと送別会してやるよ」。日本一おめでとうございます。期待して待ってま すから。」

その道を究めようとする"信念の男"、そして間違いなく野球の天才であるが、その野球を挫折したこともある人生から多くを学んだ"人の気持ちがわかる男"、そんな気がする。

タイガーズファンの私にもためになる話。


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