2010.11.08

社長ブログ

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「当たり前」と「感謝」と「商売」

この文章は全鍍連誌平成22年11月号ならびにドットヨム第107号(2010年9月)へ掲載したものに加筆修正したものです。

 

 


先日、こんなニュースがラジオから流れていた。


「宿直の駅員が居眠りをして駅のシャッターを開け忘れたために、9名の乗客が始発電車に乗ることができず、20分後の電車を待つことになりました。」


始発電車に乗りたかった乗客は、困ったことだろう。遅刻をしたかもしれない。ニュースの口調も「迷惑を被った」といった感じだった。その時、ふと思ったのだが、だからこそ「いつもありがとう」なんじゃないか。いつもは"当たり前に"シャッターは開いていて始発電車に乗ることができる。線路を引いて、電車を運行してもらっているから電車に乗れる。日本全国(首都圏は怪しいが)で、今日もダイヤ通りに運行されている。昔は、「(鉄道会社は)電車に乗せてやっている」と「(乗客は)電車に乗せてもらっている」という感覚だったが、いつの間にか「電車に乗っていただいている」に対して「電車に乗ってやっている」が行き過ぎていないか。"いつも"を考えると頭が下がる。

 

数ヵ月前から、地元のバスが回送中のバスに「すみません回送中です」と表示するようになった。たしかに、暑い中で(寒い中で、急いでいて...)バスを待っていて「来た!」と思ったバスが"回送中"だった時の「あああ...あぁ」という気持ちは僕もわかるが、業務上必要なこととして回送しているのだから、堂々と"回送中"でいいと思う。


僕はコンビニでもドラッグストアでも、レジで商品を受け取ったら「ありがとう」と言う(癖になっている)。これは関西での学生生活で身についたものだ。関西では「ありがとう(語尾は上がる)」をみんな自然につかう。関西全体がこうなのかはわからないが、少なくとも僕のまわりの人たちは、老若男女問わずそうだった。これが癖になっている。自然に「ありがとう」が出ない時もあるが、そういう時は、自分の中に何か問題があってちょっと参っている時のような気がする。10年ほど前、コンビニでバイトをしていた関東在住の女友達から相談があった。「毎日のように来る男性が、いつも礼儀正しくニコッと"ありがとう"って言ってくれるんだけど、好意を持たれているのかな?」とのこと。その時に「そいつ関西人じゃない?」と尋ねたら「そうみたい」と言うので、関西人の「ありがとう」はあいさつみたいなものだから、とりあえずはそんなに深く考えなくていいよと言っておいた。


昔、祖母に連れられて、歩いて5分ほどの近所にある八百屋や魚屋によく買い物に行った(15年ほど前にコンビニになり、今は閉店している)。その八百屋さんは、行くといつも「難波さんいらっしゃい」と言ってくれた。僕がいっしょだと「今日はお孫さんもいっしょでいいね」などとも言ってくれる。祖母は八百屋と世間話やオススメの野菜などをあれこれ話し、持って行ったカゴ(今で言うエコバッグ?)をいっぱいにして帰る。祖母は何度も「ありがとう」を言う。祖母は、野菜づくりのたいへんさを知っている。きっと祖母は、『今は自分で野菜は作っていないけど、どこかに野菜を作ってくれている人や魚をとってくれる人がいて、そのおいしい野菜や魚を仕入れてくれるこだわりの八百屋さんや目利きの魚屋さんがいるから自分たちはご飯を食べられる』と肌で感じていたのだろう。だから当たり前に感謝している。八百屋も、祖母が上客だからと何かを売りつけようというのではなく、もちろん"いつも買っていただいてありがとう""今日はこれがオススメですよ"である。


本当はコンビニもそうなんだろう。コンビニで仕入れをしてくれるから、ちょっとした時や急な時に助かるのである。でも、なんとなく"コンビニだから当たり前"みたいな感覚になるのは、コンビニが機械的に地域やお客に合わせて売れ筋を揃え、売れる商品を開発し、ネットワークシステムを駆使して売っていそうだと感じたり、そこで働いている人は"八百屋のこだわり店主"のように自分のお店や自分が勧める野菜への信頼を大切に思っている人だけではなく、そのほとんどがアルバイトだと知っていて、それらをマニュアルに従っている大きな仕組みの中のことと捉えているために、こちらに想像力を働かせるきっかけがないからだと思う。便利になりすぎることも恐ろしい。


トヨタ車も、トヨタ車の品質は、売り手も買い手も"問題がなくて当たり前"になりすぎていたのかもしれない。昔の車は、乗る前に点検することが当たり前だった。安全になりすぎるのも恐ろしい。ただし、問題が発生した時の店員やお店、会社の対応はとても大事だと思う。感情がこじれてしまったら信頼関係も崩れてしまい、どんな説明をしても受け入れてもらえない。


少し脱線するが、逆に、パソコンや携帯電話は使っていると壊れるものという空気があるし、パソコンソフトやアプリはバグやエラーがあっても、徐々にバージョンアップしていいものにすればいいということになっている。


当たり前ってすごいこと。当たり前のことが当たり前にやられているってすごいこと。


相手やものごと、仕組みについて少しの想像力を働かせるだけで、たくさんの感謝することが浮かんでくると思う。身の回りにたくさんある"感謝すること"に気づき、"小さな感謝"を積み重ねていくと、不思議と心も落ち着いてくる気がする。


"商い""商売"が、"ショーバイ"そして"ビジネス"という言葉に変わっていくとともに、大事な何かを置いてきたのかもしれない。


"商売"は、売り手も買い手も笑顔になる"笑売"がいい。


最後に、つい気づかないふりをしてしまう"ご家庭での当たり前"も大切に。


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