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東日本大震災 届け、想い!!

-2011/12/12-

まるみえになっている家昨日で東日本大震災から9ヵ月が経ちました。この話は7月に被災地を訪ねた時のことです。



7月23 日(土)、栃木工場の飲み二ケーション前に被災地を訪問した。ただ見に行くだけであり、失礼な気持ちもあったが、岡山や東京などから現地を支援しに行かれ ている何人もの知り合いの方から「自分の目で見た方がいい」と言われていたこともあり、半日の空き時間の中で、さっとではあるが車を走らせた。訪れたのは 津波の被害を受けた石巻市と日本三景のひとつである松島である。



骨組みだけのコンビニ看板高速道路を使って仙台から石巻まで移動したが、道路工事をしていたり、被災証明書をもっている車が一般出口を使用するために、ところどころで渋滞が 発生していた。特に高速道路出口は、証明書を1枚1枚確認するために、ひどいところでは高速道路上から出口まで渋滞が起こっていた。ETCゲートは空いて いるのだが、ゲートにたどりつくのがたいへんだった。


だんだんと海が近づいてきているのを感じ、車の窓を 開けてみた。今でもすっぱい匂いがたちこめている。遺体安置所と手書きで書かれた案内板をいくつか見かけた。海沿いまで進むと、津波でできたと思われる更 地がいくつも出現する。家の土台だけが残っている場所、何も残っていない場所、家の形はあるが吹きっさらしになっていて中に何もない家、へしゃげて転がっ ている重機など、見たこともない風景が広がっている。自分が直接に被災した阪神大震災とはまた違っている。



埋葬され、手向けられた花元は公民館らしい遺体安置所に立ち寄ると、グラウンドをお墓にしているようで、等間隔に埋葬され、花が手向けられていた。


石巻から海岸線を松島まで移動する。途中、田んぼの真ん中に乗用車やボート、その他の物が転がっている不思議な光景を見た。



風光明美な観光地として有名な松島。初めて行くので前のことはわからないが、似つかわしくない光景が広がっていた。瓦礫を積んだダンプカーがひっきりなしに 訪れて、空き地にどんどん積んでいく。ホテルらしき建物は、津波によって無残な形になっている。おそらく別荘などがあったのだろうと思われる場所も、土台 しかない。橋の欄干は半分が宙ぶらりんになっており、その先の信号機は色をつけることなく傾いている。


瓦礫でつくられた山山あいに進むと、このあたりは被害が少なかったようで、家もきちんとしている。小学校の教室から炊き出しと思われる煙が出ており、迷彩服を着た自衛官が掃除をしていた。きっとキャンプ地兼避難所になっているのだろう。


ローカルラジオからは助け合いのメッセージが流れてくる。お店を再開した話、今なお瓦礫が片付けられていない地区の話、地元の被災地に帰ってきた芸能人の励まし...。



僕らは何をすべきだろう?



ドットヨム第117号:2011年7月


追伸 震災から9ヵ月、訪問してから5ヵ月、あれからどうなっているのか。


東日本大震災の被災地へ送る母校の子どもたちの寄せ書き12月に出張先から帰ってきた岡山駅で目に留まった大きな寄せ書き。東日本大震災の被災地に送るために書かれたもので、よく見ると母校の小学生たちのものでした。



届け、想い!!


私が最近聞いた被災地の方のお話。



1.まだまだ生活することもたいへんなのに、被災地以外の地域では原発と食糧のこと以外はあまり報道されなくなっていることがさみしい。



2.不眠不休で24時間対応していた時の、多額の残業代や休日出勤手当てなどを要求する公務員と支払う官公庁(指導?扇動?している労働組合全国組織や政党もあるそうです)。損得もからむデリケートな問題なので、ほとんど報道されないようですが、地元ではそのお金を復興資金に充ててとか、寄付してとかの声は上がるけど難しいようです・・・。法律上は支払われるべきものですが、会社がなくなったりしてもらいたくてももらえない人もいるし、ボランティアとして見返りなしで手伝っている地元の人もたくさんいるのだから、"ほどほど"という線があるような気がします。


3.いろんなところからお金と人が入ってきて、パチンコ店や夜の繁華街が賑わっている矛盾。

☆☆ でも最後には「いろんなことがあるけど、冷やかしでもどんどん来て、見ていって!!」とのことでした ☆☆


想いだけでは難しいけど、みんなの想いが太く良い方向につながっていくといいなと思う。


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