270号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(2-1)

270号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(2-1)

思いで深い海外旅行の一つに、1990年11月2日から17日までの15日間の南米視察がある。ブラジル・アルゼンチン・ペルーを巡った旅である。

 

この旅の見どころは世界の三大瀑布の一つ「イグアスの滝」そしてインカ帝国の天空の都市「マチュピチュ」であった。マチュピチュは地球上で日本の真裏にあたり、クスコまで乗り継ぎで20時間、宿泊を入れると所要時間40時間をも要する処に位置する。出発前から期待と不安でわくわくドキドキしていた。

 

ブラジルリオデジャネイロの港は世界三大美港の一つである。夜景は美しくコバカバーナの海岸には多くの海水浴客で賑わっていた。ブラジルの住宅環境は日本と異なり山の手がスラム街で町の中心部が高級住宅街となっていた。山の手は治安が悪いので行かないようにと添乗員から注意を受けたが、殺人などは日常茶飯事だと言う。ブラジルといえば情熱的なリオのカーニバルが思い浮かぶが、開催時期から外れて見ることが出来ず残念であった。

 


インカの聖なる都市「マチュピチュ」!.jpgその頃、南米は高いインフレに悩まされており1989年は最高の4923%であったが、当時は少し落ち着いたと言われても175%のインフレであった。そのためにブラジルでは貨幣がドルとリンクしているので給料を支給されると数日の生活費を残して全て米ドルに交換するという。

 

海外旅行ではキャッシュを多く持たないでクレジットカードの活用する人々にとってはカードの決済日までの期間のインフレを見込むので物の値段は大変高額となり土産も買えず困ってしまった。

 

夕食は鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し荒塩を振って炭火で焼き、目の前でスライスしてくれる「シュラスコ料理」を食べた。塩味でワイルドな食べ方が美味しかった。

 

ジェトロから中南米の経済状況の説明を受け、500人から100人規模のフープや金、銀、銅、ニッケルめっきをしている三工場と宝石研磨工場を興味深く視察する。当時すでにフープメッキをしている月商3000万円の先進工場や宝石研磨工場などを興味深く見学させてもらった。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは街中のあちこちで本場の「タンゴのダンス」を見ることが出来た。日本の社交ダンスのタンゴとは異なり官能的で美しい踊りであった。南米の大きな都市の街中では凶悪犯罪は少ないが、服にケチャップを振り掛けて上着を脱がせて服とカバンを持ち去るなどコソ泥が多いと注意をされていた。案の定、目の前でバイクに乗った二人の若者に歩道を歩いていた初老の紳士が抱えていたカバンをひったくられ転倒するのを目撃し肝を冷やした。日本ではほとんど見られない光景だった。

 

アルゼンチンとウルグアイ・ブラジルにまたがるイグアスの滝では合羽を着て水しぶきを避けながら滝幅4000m・最大落差82m・毎秒2570㎥水量が轟音を上げる壮大な滝に感嘆した。

 

アマゾンの源流に位置するマチュピチュへ行くために有視界飛行で標高3360mのクスコ空港に着陸する。飛行機から降りると酸素が希薄で息苦しくてゆっくりしか歩けない。しばらくすると多くの人は酸素の薄にも慣れてくるがなじめない人は長く頭痛が続いて苦しそうであった。クスコからは汽車でマチュピチュ駅へ行き、そこからバスでマチュピチュへ向う。バスでは私は運転席の横の助手席に座った。そこから運転席を見ると計器盤は全て壊れており計器は全て動いていない。道はらせん状に登って行くので私の席は車輪の前にあり道からオーバーハングして絶壁を見下ろす恐怖に心臓が飛び出すような思いでマチュピチュへ向かった。マチュピチュは約100年前にアメリカ歴史学者「ハイラム・ビンガム」によって発見された今なお多くの謎に包まれた魅惑のインカ帝国の天空の都市である。

 


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