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271号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-3)

-2019/07/01-

マチュピチュ&ベロニカ山.jpg1990年マチュピチュ遺跡を訪れた。マチュピチュはアンデスの言葉であるケチュア語で「老峰」の意味で、ペルーのクスコ地方を中心として13世紀頃誕生したインカ帝国の代表的遺跡である。1983年ユネスコ世界遺産に認定されて以来、日本人に人気の高い世界遺産の一つである。

 

マチュピチュはマチュピチュ峰と岩山のワイナピチュ峰に挟まれた標高2400mの険しい断崖の頂の岩棚に築かれている空中都市であった。登山バスで登頂しマチュピチュウを一望した時、その美しさと荘厳さに心打たれ、その光景は今なお脳裏に焼き付いている。このマチュピチュは、15世紀に小勢力であったインカ帝国を急成長させた9代目パチャクティ皇帝により彼の郊外の王宮、つまり離宮として造られたのである。パチャクティ皇帝はアンデスを統一し、北はコロンビア、南部はチリ中部に至る南北4000キロメートルをインカ帝国の影響下に置いた。マチュピチュはインカ帝国の首都クスコの北西に位置している。

 

アメリカ大陸での高度な文明の出現は、マヤをはじめとするメソアメリカとインカに代表される南米のアンデスの2地域だけであり、旧大陸の4大文明(メソポタミア、エジプト、インダス、古代中国)と共に世界6大文明を構成した。

 

このインカ帝国はフランシスコ・ピサロらスペイン人征服者たちにより、1533年にアタワルパ皇帝が処刑された時点で実質的に崩壊したが、その後30年間、祖先の血を受け継いだ皇帝たちは、マチュピチュの奥地に位置するビルカバンバ地方の城や砦にこもってスペイン人に抵抗し続けたのである。

 

インカ帝国には鉄が無く石文化の国であった。巨大な石の運搬には石の角の突起を支点にして回転させて牽引するし、精密な石組みづくりの為に石を精緻に研磨するなどの石の加工技術に長けていた。さらには断崖の頂で生活する為に、小さな水源を大切にして都市に水路を張り巡らすなどの水利技術にも長けていた。

 

このマチュピチュ聖殿は、いまなお謎が多く魅惑の帝国であり、その解明は大変困難でこれから先も謎に包まれた魅惑の帝国であり続けると思われる。

 

難波家お墓.jpg2009年の秋、楢津に我が家の墓所を用意した。山に囲まれたその風景はマチュピチュを連想させ一目で気に入って購入した。そして庵治石を求めて世界的石の彫刻家イサム・ノグチ庭園を守っておられる和泉正敏氏を高松市牟礼に訪ね、墓石選びをお願いした。現地を見て貰い選んで頂いた石は、まさにマチュピチュ遺跡の背後にそそり立つインカの霊峰「ベロニカ山」のイメージにピッタリで、今は父母が安らかに眠る。いずれは私も入る予定である。


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