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274号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-5)「西安&莫高窟の旅」

-2019/12/23-

西安城壁.jpg中国を初めて訪問したのは1981年11月の商工中金ユース会議の海外視察である。瀋陽そして北京・上海を訪れた。その時、中国人の服装に驚かされた。北京では男女共に国防色の服を身に着けていたが、上海ではカラフルな服を着ていた。上海では休日に貸カメラを借りて一人っ子政策の子供を連れた家族が公園に出掛けて写真を撮って楽しんでいた。その後6回中国を訪問する機会があった。その度に表面上は変化し進化する姿に目を見はらされた。

 

 

 

洞窟の壁画2.jpg洞窟の壁画1.jpg1999年9月には平山郁夫画伯の紹介状を携えてシルクロードの起点である西安から敦煌・莫高窟訪問した。広島空港から上海空港をトランジットして西安空港へ、空港から西安のホテルに向かう途中の高速道の車窓からは小高い丘が多数みられた。これらは漢民族の王家の墓だそうだ。西安は3100年余の歴史を持ち、2000年に渡り数々の王朝の都として栄え嘗て「長安」と呼ばれ、800㎞の平地に約1000万人が住んでいる。中心部は美しい城壁に囲まれている。幅12m周囲14㎞の城壁はその時期は美しいイルミネーションに飾られていた。西安のホテルには21時に到着し、ワインと軽い夜食を食べて就寝する。翌朝は5時にボーイのモーニングコールで起こされ慌ただしくシャワーを浴びてパッキングをして西安空港からオアシスの都市として栄えた敦煌の空港へ向かう。嘗て、敦煌はシルクロードの要地で通商の拠点でもあり、また北の匈奴の辺防の要衝でもあった。三蔵法師もこのシルクロードを通ってインドから経典を西安へ持ち帰ったのである。敦煌空港からは広大な砂漠の中をマイクロバスで(25㎞先の)莫高窟へ。莫高窟はゴビ砂漠の鳴沙山東麓の断崖に南北約1600mに渡り700ともいわれる色鮮やかな色彩塑像が安置されており、さながら極楽浄土の趣である。

 

平山郁夫先生の紹介で敦煌研究院の李泙院長と面談し会食することが出来た。お陰で一般観光客では見ることのできない窟を開放して頂き美しい色彩の壁画や仏像を堪能することが出来た。鳴沙山にあるこの大石窟は総数490ヶ所以上もある。石窟群からは3万~5万点にも及ぶ文書や写本、仏画、経典などが発見されている。

 

敦煌から莫高窟へのマイクロバスの旅で大変不自由したのはトイレである。当時の中国の田舎ではトイレの環境整備ができているとは言えず、横の仕切りしかない、大小兼用の横樋トイレには閉口したものだ。

 

莫高窟から再び敦煌へ引き返す途中のタクラマカン砂漠(ウイグル語で死の砂漠)の中には映画「敦煌」のロケの大きなセットがそのまま残され観

莫高窟.jpg

光資源として使われていた。西安での最後の美味しい中国料理の夕食を期待しガイドに尋ねたレストランに行った。そのレストランの入口正面には二階まで吹き抜けの20m角のゲージがあり、その中にはダチョウや鹿、ウサギなどの動物が飼ってあった。そのゲージを囲むように席が用意されていた。我々はその動物が今夕の食材になるのでは思うと美味しく食べた気分にならないので個室に入って食事をした。帰りにそのゲージを見ると鹿もウサギも居たのでひと安心しました。残念なことは西安の陳マーボ豆腐を食べ損ねたことで今でも悔やまれる。翌日は兵馬俑や大雁塔、書院通り、城壁など西安観光をして土産を買う。皆で坊さん書や数珠そして美味しかった貴州マオタイ酒を買い求めた。

 

中国悠久の3000年の歴史の重さと中国領土の広大さを実感そしてインドから中国・韓国を経由して日本に伝わった仏教をはじめ多くの文化を噛みしめながら帰国した今も記憶に残る貴重な旅であった。


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