280号 人生あれこれ 北海道岬巡り(2)

280号 人生あれこれ 北海道岬巡り(2)

小平の番屋.jpg北海道岬巡りがいよいよ始まると思うと心は高ぶり、早朝5時に目覚めてしまった。洗面をして支度をしていると、携帯電話の緊急通報がけたたましく鳴り、驚いて見ると「北朝鮮がミサイルを発射し襟裳岬沖に着弾」とあるではないか。当時は、突然で初めてのミサイル着弾警報に心は震えた。襟裳岬沖に着弾したと聞き、この旅の先行きに大丈夫かと不安を覚えたものだった。それでもバイキングの朝食を食べて大型観光バスで出発すると、そんな不安もだんだん薄らいできた。ツアー参加の10名は60人乗りの大型観光バスの窓際の座席にゆったりと座っている。ガイドさんはベテランの福士さんである。砂川ハイウエイオアシスで休憩の後、留萌黄金岬に到着した。海浜公園では、ハマナスの花はもう散って沢山の実が成っていた。花が咲いていなかったのは残念であったが、以前に北海道を訪れた時に見たはまなす群生地の光景を思い浮かべながら実もまた風情があるなと思ったものである。

 


番屋の内部.jpg留萌は嘗てニシンの戦国場であった。昼食休憩の小平道の駅でニシン漁の番屋跡を見学した。各地の番屋ではヤンと言われる各地から集まった季節漁業労働者が寝泊まりし、そこからは、煮炊きの匂いが溢れ、威勢の良いソーラン節が聞こえていたと言われる。当時はまだトロール船もなく、ヤン衆がソーラン節を歌いながら人力と乏しい漁具や装備でニシン漁をしていた。ヤン衆は100人単位で番屋にやってきて浅瀬に押し寄せて産卵するニシンを捕った。ニシンが大量にやって来る春3月(群来と言われる)にはメスが産卵し、オスが放精するために海一面がミルク色になった。番屋は一階がニシン加工施設と親方の住居、2階はヤン衆の寝室となっており、当時のニシン魚の繁栄ぶりが伺えた。ニシンは春告魚と呼ばれるように春先に大量に群来し、明治30年ごろ迄は現地の三大網元は、3月から5月の3ヶ月で1億円(現在の価値換算)以上の利益を上げ一年間を生活した。ニシン漁で莫大な富を得て建てられた「にしん御殿」が今もあちこちに見られる。最高の水揚げを記録した明治30年以降は、乱獲と気象変動で激減した。ニシンの漁師達は海から陸に上がり慣れない農業に精を出したそうだ。

 

野寒布岬.jpgサロベツ原生花園の湿原の木造り遊歩道を歩いて行くとノハナショウブやエゾカンゾウなどの多くの花が咲き誇っていた。野寒布岬(ノシャップ)から宗谷岬へ行くと、利尻富士や礼文島も一望でき、地平線に太陽が赤みがかったオレンジ色の光を放ちながら沈む光景は素晴らしく、感動させられた。今までに見た夕日の中でも、5本の指に入る美しさで今も心に残っている。夕食はホテル近くの和食店でこの地の名物「水タコ」の刺身としゃぶしゃぶを食べる。タコは2mもある大きな水タコで、味はさっぱりして美味しかった。


SHARE:

  • LINEで送る
  • Facebookシェア
  • ツイート