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244号 人生あれこれ #04 我が家の正月

-2010/02/15-

日本は四季の彩りに恵まれ、そもそも農耕を生業(なりわい)としてきたので季節の移り変わりを大切にしてきた。一年のうちにいくつもの「晴れの日」を設定し、自然そのものに感謝してきた。

正月もそのひとつで、新年の神である年神様(歳徳神)が各家庭に降臨してくると考えられ、その年の幸運を授けて貰うために、家族で迎え・まつるしきたりだと言われている。

 

子供の頃の我が家では、年神様を迎えるために、まず屋敷の内外の大掃除と煤払いを行い、汚れたり・破れたりした障子は水洗いをして、障子紙を張り替え、霧吹きして皺を取った。母親は「おせち料理」のカズノコ、黒豆、酢ゴボウ、コンニャク、昆布締め、高野豆腐、ブリの焼き物、クワイ、田作り、出し巻、ナマス、栗キントン、煮シメ、蒲鉾などと子供が喜ぶハムや肉料理などを何日も夜遅くまで掛けて作り、更には母の実家の新潟から送られてくる塩辛、筋子、氷頭ナマス、切干大根などを一緒に重箱に美しく詰め合わせる。しかし子供にとっての一大イベントは何と言っても「餅つき」である。蒸籠(せいろ)で蒸した餅米を石臼に移し、三人が木の杵でまずこねてそして打つ、合いの手が水を撒いては餅をひっくり返し、また打つ。リズミカルなこの繰り返しで出来上がった熱い餅でまずお鏡餅を作る。二臼目からは手早く手で小さく切っては投げ出される餅を手で綺麗に丸めて「もろぶた(長方形の底の浅い木箱)」に並べる。このお手伝いが子供心にとても楽しかった。最後の臼では、皆で出来上がったばかりのお餅に黄粉や小豆をまぶして食べるその美味しさはまた格別なものである。最近では文明の利器の餅つき機でお餅を作るようになり、このような微笑ましい姿が町ではすっかり見かけられなくなった。

また、門には年神様が降りてくる神木である「門松」を飾り、屋敷の出入り口や神棚、生計の糧である機械や設備にも、邪神を払い神聖な場所を示す「しめ飾り」を取り付ける。そしてお鏡餅を神棚や床の間にお供えし準備万端を整える。


大晦日の夜になると、家族揃って高松最上稲荷へ商売繁盛と家内安全の祈願に2~4時間も掛けてタクシーで初詣をする。帰りには参道でゆずせんべいとお守りを買ってもらいタクシーの中で寝ながら帰る。これが我が家の恒例の行事となっていた。


元旦には、父母は着物を着て、私も「一張羅(いっちょうら)の服」を着せてもらい、「お屠蘇」と「雑煮」で年初めを祝う。我が家の「雑煮」は、醤油仕立ての澄まし汁に丸餅とブリ、ニンジン、ホウレンソウ、蒲鉾、ゴボウなどが入っている。


うきうきしながらお年玉を戴き、10時を過ぎた頃になると、大勢の社員や近所の親戚が次々と年始に訪れ、母はお酒とおせち料理を忙しく振舞う。狭い座敷がお客と共に埋まってくると、三々五々に酔っ払ったままに初詣や次の年始へと去って行く。時に深夜まで居座って飲んでいた酒好きな人も居た。このような風習は、年とともに価値観の変化や飲酒運転問題などから次第に薄れてきた。


当時の子供の遊びは、寒い戸外での集団遊びが主体で、かくれんぼ、陣取り、こま回し、凧を揚げ、竹とんぼ、缶けり、ビー玉、ベイゴマ、ぱっちんなどを近所の子供と競ったものだ。そして正月の最高の娯楽は、母や年上の人に正月映画に連れて行ってもらうことだった。


これが私の子供の頃の我が家のお正月であった



正月メモ
・お屠蘇とは、薬種の一種で、屠蘇は「悪鬼を屠(ほふ)り、死者を蘇らせる」の意味がある。
・雑煮は、宮中の歯固めの儀式である歯固めの鏡餅と供物を煮込んだものを頂くことでご神仏の加護を受ける習慣が変化したものである。
・おせち料理のお節は「節日につくる食物」の意味をもつ「お節供」の略語。
・おせち料理の食材である、黒豆はまめにくらせるように、昆布は喜ぶ、橙は代々富貴、スルメは寿留女に通じる「めでたい」材料、カズノコは子孫繁栄、田作りは豊作、ブリは出世魚、くわいは芽が出ることを「願う意味」の材料。


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