269号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-2)

早大欧州学生交歓見学団のバスツアーはヒットラーの作ったアウトバーンを一日で四百数十キロ㍍走り続けることもあり大変ハードなツアーであった。このTrans Busでは時折オレンジやリンゴなどの果物が配給されたり、誕生日を迎えた人からケーキが配られたりする一幕もあった。まっすぐに続くアウトバーンの両側の並木の美しさが素晴らしかった。

 

パリでのシャンペン工場の見学では生まれて初めてのシャンペン試飲にその味をしっかりと噛みしめた。パリの自由行動は珍しく深夜0時までとなり、万が一の事故を心配し女性団員を男性2人でエスコートすることになった。夕食代の25フランを持って、絢爛豪華な踊りと食事を楽しみに「リドのショー」を見に行った。最近ではそんなことはないが、当時のフランス人は英語の話しかけには「聞く耳持たぬ」という感じで国民の気位の高さを感じさせられたものだ。個人で食事をしなければならないとき、メニューを見ても内容が判らないので仕方なく値段を見て決めたりしたものだ。世界最大規模のソルボンヌ大学はケンブリッジ大学などと異なり街の中にあり、一種の騒音の中に活気が感じられた。

 

パリではノートルダム寺院やベルサイユ宮殿、モンマルトルの丘、ガルーゼルの凱旋門などの一般的な観光地の他にアンバリッド「ルイ14世によって1671年建てられた廃兵院にある兵士聖廟の南端に高さ105mの大ドームが立っておりその真下にナポレオンの石棺が安置の他、これまでフランスの独立に多大な貢献をしたフランス元帥のフォッシュやナポレオンの弟など七つの墓所とチャペル」を訪れた。その後も何度かフランスを訪れたが此処は初めてで最後の観光であった。

 


時計で有名なスイスではインターラーケンのガイドの案内で多くの仲間がローレックスを買い求めた。その時買ったローレックスは今尚、息子の圭太郎が大事に使ってくれている。ユングフラウヨッホ(若い乙女の肩の意味)の登山鉄道の途中の停車駅で望むユングフラウとアイガー北壁、眼前に横たわっている大アレッチ氷河そして一面の銀世界と真っ青な空の色は対照的で筆舌に尽くしがたい圧巻の眺めであった。頂上では我がメンバーがスイス人のおばさんのヨーデルに応えて校歌「紺碧の空」の歌声や尺八の音色を響かせていた。

 

ジュネーブ湖では何といっても名物の高さ150mに噴き上げる噴水が一番に目に付く。30年後に妻と訪れたが相変わらずの圧巻であった。国際連合ビルデイングの事務局を訪問、このビルは世界各国の寄付で成り立っているのだが残念ながらメイドインジャパンは何処にも見当たらなかった。そんな時代であった。

 

ローザンヌ近くで3台目のバスがトラックと接触し後部の窓ガラスが粉々になる。ヒヤリとするがけ人はなく、全行程中の唯一の事故であった。

 

いよいよ最終地イタリアに入国、検問所では、役人が調べにバスに乗り込んでくる。女性好きのイタリア人気質らしくパスポートの検閲は女性の顔だけを確認し日本の切手をねだる。初めて食べるパスタペンネの美味しいことに感嘆。オリベッテイへ向かう途中突然の嵐、雨混じりの大粒のひょうが降り、バスは3度も避難を余儀なくさせられる。ベニスの街の足、水上タクシーで白波を立てながらベネチアグラス工場を訪問。ドラカーレ宮殿の兵器庫や牢獄を観光、そして「ため息の橋」の元祖の橋を渡る。広場のカッフェでは楽団が荒城の月や桜アクラ、スキヤキなど三曲を演奏して歓迎してくれる。ウィフィッツ美術館では著名なボッチェリーの「春のヴィーナス」、ダ・ヴィンチの「聖告」、ラッファエロの「聖母子」を拝観。ミケランジェロの丘からフローレンスを一望すると洗礼堂やジォットの鐘楼(70m)、ベッキオ時計台などが家並から頭を出している。ローマ帝国の文化遺跡「天使の城(聖アンジェロ城)、パンテオン、トレビの泉、カピトリーノの丘、フォロ・ロマーノ、コロシウム、カラカラ大浴場の跡(この会の命名の場所)」などを観光。我々の最後の晩餐は「カラカラ亭」で行われ、カラカラ大浴場跡のオペラを鑑賞しホテルに帰り荷物の整理を行う。翌朝、ホテルを出てレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ。KLM機に乗り込み一路日本へ向かう。楽しかった一カ月に及ぶ早稲田大学第一回欧州学生交歓見学団の旅を無事終えた。50数年前のわが青春の思い出のひとこまである。


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