282号 人生あれこれ 島巡り(1)壱岐・対馬

282号 人生あれこれ 島巡り(1)壱岐・対馬

282号写真2.jpgおよそ50年前、ある経済団体のチャーターメンバー7人で立ち上げた毎月一度の会食をする会がある。そしていつしか年に一度旅をすることが追加された。現在メンバーは3人になってしまったが、その会は半世紀を経た今もまだ続いている。その旅も初期の何度かは海外にも行ったが、いつのほどにか、なかなか行くことのない日本列島の離島を巡ろうということになった。

 

今回からは、この島巡りの旅のいくつかを書いてみようと思う。

 

最近、元寇船のイカリを引き揚げた事が話題になっていた。錆びて朽ち果て時を経たイカリは、それでも形をとどめており、TVで見た私は歴史とロマンを感じ感動を覚えたものだ。近い将来元寇船の本体も引き上げる計画もあるという。

 

私は、199811月に訪れた壱岐・対馬に思いを馳せた。対馬から韓国釜山の夜景を見たが、まるで瀬戸大橋から対岸の四国を見るように近く美しかった。それほど朝鮮半島に近く、それ故に古くから守りの要衝であらざるを得なかったのだということを実感した。このような地理的条件のために、壱岐・対馬は古くは文明の先進地域であったユーラシア大陸・朝鮮半島と文物の往来がなされ、大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たし、九州を結ぶ航路の中間地の一つとして利用されて来た。そして日本は平安時代以来度々、満州族やモンゴル族からの侵攻を受けることになる。その侵攻の途中に位置する壱岐・対馬はその侵攻の都度、大きな被害を受け悲惨な目に遭った。

 

その最も有名なのは、神風が勝敗を分けたと言われている「元寇」だ。鎌倉時代の末期、二度にわたってフビライ・ハン率いるモンゴル軍が日本に来襲した事件である。この来襲は結果的には色々な要素が重なって失敗に終わったが、元寇が通過した壱岐と対馬では、死体が山のように積み重なり人々は亡骸を集めて埋葬し塚を作った。それは「千人塚」と呼ばれ、その遺構が今も大切に保存されている。対馬には「元寇700年 平和の碑」が立派に建立されていた。

 

対馬の魚は美味しかった。港でタクシーに乗って、運転手に「昼食にどこか美味しい処」を尋ねると「料亭ならありますよ」と言われた。昼間から豪華な料亭へ行くのかと戸惑いながらも連れて行って貰うと、そこは居酒屋風のこじんまりしたお店であった。今朝捕って来た魚を大きな生簀で飼っており、それをさばいて食べさせてくれた。外海の荒波で鍛えられた身の引き締まった鮮度の良い魚の活き作りにみんなで舌鼓を打った。対馬の食には大満足であった。



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