228号 兄を想う

-2006/01/01-

昨年末、兄が亡くなった。病に倒れてしばらくの時間があったこと、歳が離れていることもあり、取り乱すようなことはなかった。いずれ人は死ぬものである。


今回は、兄弟の思い出について書くことにする。私は三男四女の末弟として生まれた。うち姉二人は幼少時に亡くなっている。末っ子として甘やかされて 育った私であったが、兄弟の思い出として記憶に残っていることといえば、まずなんと言っても父に百姓の手伝いをよくさせられたことである。風呂焚きや炊飯 の燃料として、持ち山にある枯れ草や落ち葉の「下草刈り」「松葉掻き」をやらされる(これを今もやっていれば、まだ松茸も食べられたろうに)。集めた草を 「ふご」に入れ、天秤棒でかついで帰る。稲田に出れば、機械押しや手で田の草取りをさせられるなどなど。これらの手伝いをしなければ公正明大に遊びに行け なかった。


このときに、父が兄姉それぞれに割り当てる仕事の種類や作業量、ノルマが、年齢や体躯、能力に 照らして絶妙なのである。私は子どもながらに、このようなことから、父の人を使うときの心遣い、相手の気持ちを読み取る能力を見習ったし、労力と工夫する 知恵として、会社の経営していく上で計り知れないほど役に立ったと思う。


一番上の姉は、はるかに年が離れており、私にとっては母親がわりだった。よく世話をしてくれた。会社を興すきっかけとなった働き先も、この姉を頼りに行き着いた先である。本当に世話になった。


他の思い出はというと、兄弟で母の実家に行き、いとこと遊ぶのが楽しみであった。井尻野というところであるが、ここに行くととにかく大事にされ甘やかしてくれた。私もそれに応えてわがままし放題だった。


さ て、この世にただ一人残っていた兄であるが、彼は難波家の跡取りであり、それを強く自覚していた。たいへんな責任感を持った男であった。明治と大正の兄弟 であり、必要以上にベラベラと話をしたりすることはないが、なんとなくお互いの気持ちがわかる兄弟であり、お互い凛として生きてきた。またいずれ、どこぞ で会えるだろう。


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