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229号 家内を想う~内助の功~

-2006/04/01-

家族にいつも言われることがある。「おじいさんは、いつもおばあさんに大きな声を出す。もっとありがとうせられぇ。」面と向かって、家内に「ありがとう」と言うのは口はばったいので、この場を借りて、内助の功についてお話したい。


岡山市の中心部、現在は大手スーパーが操業しているあたり、岡山市桑田町に工場があったころ、当社の事業は拡大、急発展を遂げた。当時は需要に生産 が追いつかず、人手不足の対応に躍起になっていた。「金の卵」とよばれたういういしい中学校卒の若者たちがたくさん入社してくれた時代である。当時はいわ ゆる町工場であり、家族的な工場運営だった。自宅から通勤できない社員には部屋を与え、集団生活をしてもらっていた。常時10人前後がおり、彼らには食事 を3食用意していた。彼ら以外にも社員の残業食、深夜食を毎日30食前ほど用意しなければならなかった。これらは全て家内の腕にかかっていた。雨の日も晴 れの日も、それこそ両腕がちぎれるほどの食材を抱えて調理をしていた。あまりにたいへんなのを見かねて、岡本テルさんをはじめ、幾人もの人に手助けしてい ただいた。工場の片隅に食堂、となりに風呂場があった。幼い社員も終業時にはバフ研磨などで顔も服も真っ黒になっており、無心に食事をして、我先にと風呂 に飛び込むのである。彼らが風呂を済ませ、すっきりとした、一生懸命働いたすがすがしい顔になるのを見るのが楽しみだった。たまには酒も振舞った。私をは じめ、家族はその残り風呂をいただいた。来る日も来る日も深夜までこんな生活だった。


今では好々爺となっ ている当時の社員から、「あのころ、会長の奥さんには実の両親も及ばないほどよく面倒を見ていただいた。あの丼メシの味が忘れられない。会長には足を向け られても、奥さんには足を向けて寝られない。」とお褒めの言葉をいただくことがある。私は技術屋で、技術開発と生産、会社のことしかしていなかった。縁の 下の力持ちだった、この家内の頑張りがなければ、現在のオーエムグループの発展はなかったと思う。ありがたいことである。


私 たち夫婦は子宝にはなかなか恵まれなかったが、息子が一人いる。結婚して4年目に産まれた正義である。先日、家族の計らいもあり、正義が生まれた神戸の街 を夫婦で訪ねることができた。すっかり面影はなくなっていたが、懐かしく感じられた。その時の感想をまた別の機会に書き記したいと思う。


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