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278号 人生あれこれ ロシア視察記(3)

-2021/09/27-

ロシア帝国の夏離宮「夏宮殿」.jpg私がこの旅で最も楽しみにしていたのは、サンクトペテルブルクを訪れることであった。かつてレニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルクは町中に縦横に巡らされた運河が美しい水の都であった。北のヴェネツィアとも称され、建物の高さが統一されて整然とした町並みは期待に違わず美しかった。

 

この素晴らしい町の中でも一番興味をそそられたのはエルミタージュ美術館であった。いつだったかTVの特別番組でこの美術館に魅せられ一度は行ってみたいと思ったものだったが、現実にその建物の前に立った時その威厳ある佇まいに圧倒された。ロマノフ王朝の離宮であったと言うエルミタージュは壮大であり、荘厳さをも漂わせながら圧倒的な姿で私の前に現れた。私は心を打たれ何とも言いようのない感動を覚えた。 

 

エルミタージュ美術館にはエカテリーナ2世によって収集されたダヴィンチ、ラファエロ、ルーベンスなどの膨大な数の名画が所蔵されている。彼女のコレクションは絵画だけではなく数々の工芸品もある。その一つが今や美術館のシンボルとなっている世界最大のからくり時計「クジャク」である。これはクジャク、オンドリ、フクロウが一時間ごとに代わる代わる飛び出して時を告げる素晴らしいもので、私が訪れた時はあいにく止められており静止した姿しか見ることが出来なかった。非常に残念であったが、その横で流されていたクジャクが大きく羽根を広げて時を告げる動画を見ることで諦めざるを得なかった。

 

私はこのような偉業を成し遂げた女帝エカテリーナの生涯に思いを馳せた。

 

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277号 人生あれこれ ロシア視察記(2)

-2021/09/13-

ロシアトヨタ工場.jpg2008年8月24日成田空港を出発した自動車部品工業会役員のロシア調査団はフランクフルトで一泊し、翌朝サンクトペテルブルグへ向かった。午後は市内視察後に結団式を行い、船上レストランでの夕食会に臨んだ。翌日はサンクトペテルブルグに既に進出し稼働していたロシアトヨタ自動車とロシアトヨタ紡織、豊田通商などを見学し、三井物産のロシア支店長から「ロシアについて」の講演を聴いた。ロシアにはスリが多く警察官は賃金が安い為に頼りにならならず自分で気を付ける外ないと言われる。マフィアもはびこっており日本のやくざと大変気が合うそうだ。土地の私有権が2000年に初めて認められ、土地バブルが起こり、好立地にはマンションが次々と建設されて格差社会となってきた。これまでの悪法と言われた節酒法も廃止されたが、ホテル代は非常に高く観光インフラは余り良くないと言う。

 

サンクトペテルブルグはピョートル大帝の造った「文化の街&美しい水の街」で多くの人の憧れの街であった。また一方で北米のデトロイトのような自動車産業の集積地でもある。トヨタ自工の工場の向かいにGMの工場、少し離れたところにスズキ自工と自動車部品の大手マグマの工場がある。新たに建設中の日産自動車&フォードの工場もある。工場用地は全てロシア国家の財産であるが、泥炭地層の為に土壌改良が必要だそうだ。

 

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276号 人生あれこれ ロシア視察記(1)

-2021/09/13-

ペテルゴフ宮殿_IMG_0569.JPG2008年8月下旬、ロシアの自動車集積地サンクトペテルブルグとモスクワを訪れる機会に恵まれた。その年の6月まで副会長を務めていた日本自動車部品工業会の役員を対象とした視察団に参加させて頂いてのことだった。ロシアと言えば旧ソビエト時代からベールに包まれ、いや、鉄のカーテンで閉ざされた国であり、それだけに一度は訪れてみたいと思っていた。しかし、いざそれが現実のものとなると、期待に胸躍る思いと共産主義大国ロシアに対する恐怖心が交錯複雑な心境の旅立ちであった。

 

成田空港からフランクフルトで一泊して翌日昼過ぎにサンクトペテルブルグへ。不安と緊張で神経をピリピリさせてロシアの地を踏んだ我々の視察団であった。

 

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275号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-6)「白夜の北欧を訪ねて」

-2020/03/16-

フロイエン山から見たベルゲンの街並み.jpg今も目を閉じればその風景が鮮やかに脳裏に浮かぶ思いで深い旅がある。それは20年前1999年の初夏、北欧四ヶ国を巡った7日間の駆け足の旅である。

 

訪れる前は、「北欧四ヶ国」として一纏めに考えていたが、しかし実はそれぞれが母国語を持ち、地形の観点からもずいぶん異なっているということを肌で感じ思いを新たにした。例えばデンマークはスウェ―デン・ノルウェー・フィンランドと二つの海峡で隔てられており、その国土はほとんど平坦で一番高い所でも海抜200mしかないと聞いた。スウェーデンは全土を森と山に覆われ、ノルウェーの起伏にとんだ海岸線は美しいフィヨルドの景観を創り出している。フィンランドは広い湖が多く、北部はなだらかな丘陵が続いている。この四ヶ国に共通していると思われるのは、人が少なく自然の力が生活や伝統に密着していることであった。

 

ヘルシンキは19世紀初頭以降の近代建築と近未来を予見される現代合理主義の建築物が見事なコントラストを残した街だった。シベリウス公園のステンレスの壮大なモニュメントと厳しい顔のシベリウスの肖像レリーフに、彼の交響曲「フィンランディア」を想った。岩盤をくり抜き、岩肌を巧みに利用したテンペリアウキオ教会は天窓から自然光が厳粛なムードを醸し出し、とても印象的で音響効果も抜群と聞いた。大聖堂前の元老院広場の近くの店でフィンランド生まれの森の精「ムーミン」に出会った。夢の世界に入り込んでしまい人気者ムーミンのネクタイを数本買い求めた。

 

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274号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-5)「西安&莫高窟の旅」

-2019/12/23-

西安城壁.jpg中国を初めて訪問したのは1981年11月の商工中金ユース会議の海外視察である。瀋陽そして北京・上海を訪れた。その時、中国人の服装に驚かされた。北京では男女共に国防色の服を身に着けていたが、上海ではカラフルな服を着ていた。上海では休日に貸カメラを借りて一人っ子政策の子供を連れた家族が公園に出掛けて写真を撮って楽しんでいた。その後6回中国を訪問する機会があった。その度に表面上は変化し進化する姿に目を見はらされた。

 

 

 

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273号 人生あれこれ 令和を迎えて

-2019/12/23-

2008-04-17 園遊会RIMG0001_(25).JPG平成の時代が幕を下ろし、新たに令和の時代を迎えた。

 

平成を振り返ると、東欧諸国で民主化革命が起きる中で東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊するなど劇的な出来事が相次いで起こった。民主主義対共産主義の大国冷戦構造の米ソ対立も次第に米中の新冷戦構造へと変化してきた。

 

国内では明治以降初めて戦争体験をすることなく終えた時代であったがテロや災害の試練に直面した時代でもあった。オーム真理教による地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災、東日本大震災とそれに伴う原発被害、熊本地震、そして昨年7月の西日本豪雨災害は岡山県にも大きな被害をもたらした。天皇皇后両陛下が絶望と不安でいっぱいの被災地を慰問され、国民目線で膝をついて聞いて下さるお姿は多くの人に希望と力を与えて下さった。

 

新たに令和の時代を迎え、天皇陛下は江戸時代後期の光格上皇以来200年ぶりに上皇に即位された。上皇陛下は皇太子時代を含めて岡山県に12回お目見えになった。

 

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272号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-4)

-2019/07/15-

1996-03-01~07 タージ会「インドの旅」(1).jpg1996年3月インドを訪れた。関空を出発してシンガポールでトランジット。22時にニューデリー空港に到着。空港は香料を多く使う国民性の為か強烈な臭いで満たされ汚れていた。その光景はまさに当時の発展途上国を象徴しているようであった。気温は45度と高く蒸し蒸していた。迎えの車は雨季で道路がぬかるむから車高が高い四輪駆動のパジェロであった。ホテルまで行く道路には牛が沢山うろうろして牛を避けながら運転する始末である。インドでは牛は神として崇められ、苦役に使えなくなった牛は屠殺されず町に放し飼にされ住民が餌を与えていた。

 

インドはインダス川流域で世界三大文明の一つインダス文明を生み育み、世界宗教の一つの仏教が誕生した歴史ある国家である。

 

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271号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-3)

-2019/07/01-

マチュピチュ&ベロニカ山.jpg1990年マチュピチュ遺跡を訪れた。マチュピチュはアンデスの言葉であるケチュア語で「老峰」の意味で、ペルーのクスコ地方を中心として13世紀頃誕生したインカ帝国の代表的遺跡である。1983年ユネスコ世界遺産に認定されて以来、日本人に人気の高い世界遺産の一つである。

 

マチュピチュはマチュピチュ峰と岩山のワイナピチュ峰に挟まれた標高2400mの険しい断崖の頂の岩棚に築かれている空中都市であった。登山バスで登頂しマチュピチュウを一望した時、その美しさと荘厳さに心打たれ、その光景は今なお脳裏に焼き付いている。このマチュピチュは、15世紀に小勢力であったインカ帝国を急成長させた9代目パチャクティ皇帝により彼の郊外の王宮、つまり離宮として造られたのである。パチャクティ皇帝はアンデスを統一し、北はコロンビア、南部はチリ中部に至る南北4000キロメートルをインカ帝国の影響下に置いた。マチュピチュはインカ帝国の首都クスコの北西に位置している。

 

アメリカ大陸での高度な文明の出現は、マヤをはじめとするメソアメリカとインカに代表される南米のアンデスの2地域だけであり、旧大陸の4大文明(メソポタミア、エジプト、インダス、古代中国)と共に世界6大文明を構成した。

 

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270号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(2-1)

-2018/09/03-

イグアスの滝.jpg思いで深い海外旅行の一つに、1990年11月2日から17日までの15日間の南米視察がある。ブラジル・アルゼンチン・ペルーを巡った旅である。

 

この旅の見どころは世界の三大瀑布の一つ「イグアスの滝」そしてインカ帝国の天空の都市「マチュピチュ」であった。マチュピチュは地球上で日本の真裏にあたり、クスコまで乗り継ぎで20時間、宿泊を入れると所要時間40時間をも要する処に位置する。出発前から期待と不安でわくわくドキドキしていた。

 

ブラジルリオデジャネイロの港は世界三大美港の一つである。夜景は美しくコバカバーナの海岸には多くの海水浴客で賑わっていた。ブラジルの住宅環境は日本と異なり山の手がスラム街で町の中心部が高級住宅街となっていた。山の手は治安が悪いので行かないようにと添乗員から注意を受けたが、殺人などは日常茶飯事だと言う。ブラジルといえば情熱的なリオのカーニバルが思い浮かぶが、開催時期から外れて見ることが出来ず残念であった。

 

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269号 人生あれこれ 海外視察・旅行の思い出(1-2)

-2018/05/07-

早大欧州学生交歓見学団のバスツアーはヒットラーの作ったアウトバーンを一日で四百数十キロ㍍走り続けることもあり大変ハードなツアーであった。このTrans Busでは時折オレンジやリンゴなどの果物が配給されたり、誕生日を迎えた人からケーキが配られたりする一幕もあった。まっすぐに続くアウトバーンの両側の並木の美しさが素晴らしかった。

 

パリでのシャンペン工場の見学では生まれて初めてのシャンペン試飲にその味をしっかりと噛みしめた。パリの自由行動は珍しく深夜0時までとなり、万が一の事故を心配し女性団員を男性2人でエスコートすることになった。夕食代の25フランを持って、絢爛豪華な踊りと食事を楽しみに「リドのショー」を見に行った。最近ではそんなことはないが、当時のフランス人は英語の話しかけには「聞く耳持たぬ」という感じで国民の気位の高さを感じさせられたものだ。個人で食事をしなければならないとき、メニューを見ても内容が判らないので仕方なく値段を見て決めたりしたものだ。世界最大規模のソルボンヌ大学はケンブリッジ大学などと異なり街の中にあり、一種の騒音の中に活気が感じられた。

 

パリではノートルダム寺院やベルサイユ宮殿、モンマルトルの丘、ガルーゼルの凱旋門などの一般的な観光地の他にアンバリッド「ルイ14世によって1671年建てられた廃兵院にある兵士聖廟の南端に高さ105mの大ドームが立っておりその真下にナポレオンの石棺が安置の他、これまでフランスの独立に多大な貢献をしたフランス元帥のフォッシュやナポレオンの弟など七つの墓所とチャペル」を訪れた。その後も何度かフランスを訪れたが此処は初めてで最後の観光であった。

 

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